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               _/_/  メールマガジン 『語ろうか、手話について』   _/_/
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No. 28                                              2001年 1月10日発行
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  皆さん、こんにちは。お正月休みも終わり、成人の日の連休も終わり、いよ
いよ本格的に社会も始まりました。気持ちを切り替えていきましょう。

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  今回は前回に引き続き、日聴紙のバックナンバーを見ていきます。前回は昭
和24年で止まってしまったので、少々スピードを上げていきましょう。

  まずは、昭和25年3月1日号から。前回「手話」という言葉が見あたらないと
書きましたが、この号では「聾者の手話について」という記事があります。ア
メリカの身体障害者福祉協会の福祉司ヴアレンチン・ベッカーという人の書い
た記事の翻訳で、内容は手話は聾者の言語であり、通訳者がいれば社会に出て
いけるというものです。(内容は今となっては特に新しいものでもないので省
略します)

  ただ、松永端という人が「手まねの郷愁」というエッセイを連載しており、
それ以外にもあちこちに「手まね」という言葉が出てくるので、私の印象とし
ては、手話が言語であるという明確な認識がなく、なんとなく手まねと手話は
違うけどよくわからないので人それぞれが適当に使い分けているという感じが
します。松永氏のエッセイも言葉だけでなくて身振りなども含めた話をしてい
るので、あえて「手まね」とタイトルに入れているようです。

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  では、時代を一気に進ませて、昭和36年1月1日号。なぜ、この号を取り上げ
たかというと、目をひく広告を発見したからです。この頃の日聴紙では「補聴
器会社巡り」と題した連載をしていて、補聴器を頻繁に取り上げいます。その
ためかこの号では補聴器会社が新年の挨拶として広告を出しており、特に松下
通信工業は1面全面広告です。普通紙ではよくあるのですが、最近の日聴紙で
は見かけませんね。ちなみに、この頃はコカコーラや武田薬品も広告を出して
います。今の日聴紙は聴覚に関係する広告しか載せていないので、昔の方が広
告に関しては普通紙に近いです。広告があることは活気あること。雑誌も広告
がなくなっていくと廃刊が近いですから、日聴紙にも色々な広告が載るといい
なぁ、と個人的には思うのですが。

  さて、この号には大きなトピックスが2つあります。

  1つは道路交通法の改正。1960年12月20日に道路交通法が改正され、その施行
規則には、10メートル先の自動車のクラクションが聞こえればOKということに
なりました。しかし、道路交通法の64条に口のきけないものは免許を与えない
という文言があり、実際は、ほとんどの聾者は運転免許は取れなかったようで
す。そのため「語ろうか」のNo.11(2000年9月13日配信)で述べたとおり、1973
年に通知が出るまで、長い裁判が続くことになります。

  この号のもう1つのトピックは、映画「名もなく貧しく美しく」です。聾唖
者夫婦の物語で、この夫婦役に小林桂樹と高峰秀子と、たぶん当時の豪華キャ
スト。1959年の日聴紙は毎月、配役が決まったとか、撮影に入ったとか、どこ
ぞへロケに行ったとか、それはもう大騒ぎです。私はこの映画は見たことがな
いのですが、昔の人からたびたびこの映画のことは聞かされ、今回の新聞記事
からも、当時大ニュースだったことがわかりました。

  ところで1961年(昭和36年)2月1日号の4面に「名もなく貧しく美しく」をめ
ぐる裏話というものが載っています。編集部による記事ですが、これによると
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  どの大新聞、週刊誌でも「名もなく-」評はベタほめであるがろうあ界で
  は手話に関する限り、余り評判がよくない。
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とあります。その説明がこの後に書いてあるのですが、結局、この記者が手話
指導したのではないと言い訳しているだけで、よくわかりません。記事にはあ
まりこういう話は出てきていませんが、手話の対する不満は結構あったのでは
ないかと思われます。

  映画に関してはもう一つ取り上げておきましょう。1963年2月1日号5面に大
映が「温泉芸者」という映画を作成しており、これに全日ろう連が製作中止を
申し入れたというものです。この映画の内容は「売春婦に売りとばされた美し
く貧しい女が唖になりすまして遊客に喜ばれているが、終いに真の恋人を得る
にいって唖がばれる、しかし相手は、愛情は同情から出発したとしてニセ唖に
なって自分をあざむいた女に怒りを感じ、かえって女から離れていく」(この
部分、日聴紙から引用)というものだそうです。内容が聾唖に対する偏見を含
むものであるので、製作中止を要求するまでに至ったようです。こういうこと
もあったんですねぇ。

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  1960年代はベル福祉会館の年でもありました。話にはたまに聞きますが、よ
くわからん事件です。東京都目黒区に日本ベル会館という地上6階、地下1階の
建物を造って、その中に連盟の事務所が入るというものです。建物は建ったし
事務所も入りましたが、その後、色々なごたごたが起きて、事務所はここから
追い出されます。そのごたごたはもうちょっと調べて別の機会に紹介しようと
思いますが、注目したいのは日聴紙が結構いいところに目をつけた記事と、そ
れと冷静さを失った記事が載っているのに気がつきました。

  まず、目のつけどころが良い記事は1964年9月1日号の「沖縄ろうあ福祉会館
のその後は」です。ちょっと見てみましょう。

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  このろうあ会館は沖縄ろうあ福祉協会の手で運営されており、正式に「沖
  縄福祉会館」と呼び、各地ろうあ協会に大きな励ましと刺激を与えていた。
  当時の会長は東京都中野区に居住している中里弘氏で、知名事務局長とと
  もに運営、授産施設として印刷設備も行い、沖縄居住のろうあ者として親
  しまれていた。しかし、中里氏の東京転居で、会館の運営がルーズになり
  一部役員が健聴であることからずるい健聴の某役員をして欲しいままにさ
  せていたのが原因として、補助金などの着服を許す結果となった。そのた
  め経営が乱脈を極め、終いには中里氏の後を継いだ会長も辞任するなど、
  とうとう会館が他人の手に売り渡させる運命におちいった。(中略)会館運
  営にあたって健聴の役員が不正行為を働かないように絶えず監視し、積極
  的に進言しなければ、健聴の役員の跳梁を許す結果となろう。
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  ここに目をつけていながら、ベル会館がどうして潰れてしまったのか? 新聞
として視野が狭かったのではないかと思います。ベル会館が完成したときの記
事を見てみましょう。1965年4月1日号です。

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  事情知らない三大紙の誤報
  財政難に悩む民間社会福祉施設の一つである日本ベル福祉協会が考え出し
  た空間利用という新しいアイデアで日本ベル福祉会館の建築に着手した。
  (中略)
  つまり地下一階地上六階の鉄筋コンクリートの建物のうち地上三階以上は
  マンションとし得た権利金は地下一階地上二階の日本ベル福祉会館の建設
  費の足しにしようというもの。しかしながら朝日、毎日、読売の三大紙は
  かかる事情を知らないものだから、あたかも日本ベル福祉協会が国有地を
  利用、マンションを建てて金儲けしているような印象を一般社会にうえつ
  けてしまった。(後略)
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  後から振り返ると、三大紙の方が正しかったわけで、日聴紙自身が冷静に分
析してもよかったのにと思います。沖縄の教訓が生かされなかったのは残念で
す。

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  では、縮刷版の第1巻の締めくくりとして訃報をあげときましょう。この年
代はある漫画に登場してきた人が次々亡くなっているんです。

  1953年4月1日号、藤井東洋男氏と山本好江さんの自殺。まるで小説のような
話。ちなみに藤井先生は漫画「我が指のオーケストラ」にも登場するろう教育
者です。

  1957年9月15日号。西川はま子さん、8月2日狭心症で死去。口話法を修得し
父である西川吉之助氏と親子で口話法に普及した方です。

  1958年2月15日号。高橋潔氏、1月2日死去。「我が指のオーケストラ」で有
名になった市立大阪聾学校校長です。

  1960年4月1日号。川本宇之介氏、胃ガンで3月15日死去。川本口話賞の人で
す。

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  では、また来週。

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