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    メールマガジン 「語ろうか、手話について」

No. 20                                              2000年11月15日発行
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  秋の行事週間ももう少しで終わりです。個人的に、とても忙しいこの1ヶ月
でした。無事に「語ろうか」を送れてホッとしております。おかげさまで、先
週、読者数が600人を超えました。最近はハードな話が続いていたので、読者
数も減るだろうなと思っていたので、うれしい誤算です。今後ともどうぞよろ
しくです。

  日本手話と日本語対応手話の話は、増刊という形で批判意見をお送りできる
と思います。まだ、編集中ですので、ご意見ある方はどしどしお寄せ下さい。

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  今回は、情報提供施設 in 石川の3回目です。1回目は9/6、2回目は10/11に
お送りしています。バックナンバーを参照しつつ、お楽しみ下さい。

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  その2(10/11に配信)から時間が前後しますが、1994年に石川県の知事が替わ
ります。当時の中西知事は、日本一の知事在職期間を記録し、体調もすぐれず
そろそろ引退かと思われていた矢先に急死。バタバタと慌ただしく、選挙が行
われ、保守王国の石川らしく、順当に当時の副知事である谷本正憲氏が当選し
ます。自治省出身、千葉生まれ。あまり石川になじみのない彼は、我々(少な
くとも県サ連役員レベル)にとっては最初はあまり気にならない存在ではあり
ました。

  何か状況が違うと感じたのは、1997年の福祉大会です。石川県の聴覚障害者
福祉大会というのは6月に県内持ち回りで開催され、県内のろうあ者、通訳者
サークル関係者が一堂に集まる2大イベントの1つです。(もう一つは県サ連の
一泊研修会です。)福祉大会は公式行事という性格が強く、午後の式典は最も
睡眠誘発率の高い催しです。しかし、その年の式典は注目すべき点が1つあり
ました。来賓の知事の席に、本人がいたからです。これは私はびっくりしまし
た。なぜなら、今までも、そして普通ならこういう場には「知事は多忙のため
代理が出席」というのが普通だったからです。それが本人です。代読でない挨
拶も私の経験では初めてで、来賓挨拶は誰かが棒読みすることに慣れていた私
にはとても新鮮でした。自然と他の来賓(市長や議員)も本人が来ていました。
  この年は福祉大会が金沢で開催され会場が県庁からそれほど離れていなかっ
たということや1997年には情提が開設するという手土産があったという事情は
あり、たまたま知事本人が乗り気になって参加したのかもしれません。しかし
これは今でも続いており、知事自身が挨拶に織り込む手話も少しずつ長くなっ
てきており、それを見るのも恒例となっています。

  地盤や支援団体の不安定な知事が市民派を印象づけるべく障害者団体の催し
に顔を出すようになったのかもしれませんが(実際、聴覚障害だけでなく視覚
障害者団体の行事にも参加しているという話を聞いたことがあります。)とに
かく、この新しい知事によって、1995年から1997年の運動はかなり順調に動い
たのは事実です。
  改めて振り返ってみると、国が障害者プランを策定し、この石川県版「共に
生きる石川障害者プラン」が出来たのが1996年初め。1996年10月には全日ろう
連の企画の「知事と語ろう全国ろうあ者キャラバン」が石川県であり、知事に
要望書を直接手渡しています。状況はこの頃に急激に良好になっていったとい
うことのようです。

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  さて、時間をまた前に戻します。1994年ぐらいの話です。
  ろう協は法人の扱いで揺れている頃です。土地の提供について県との交渉が
本格化します。準備会では「県では無理なときは金沢市で」と考え、金沢市と
の交渉も行い、市側から閉校となった学校の跡地という話も出てきますが、そ
れは金沢市内と言っても富山県との県境にあるような山奥。こちらが尻込みし
てしまいます。私個人としては、山奥でも独立した建物ならすごいじゃん、と
思ったのですが、ろう協の最大勢力の金沢勢は都会である分、免許や車の取得
率が低く(免許も絡むので理由はもっと色々ありますが)、バスも通っていない
所に建てても現実的ではありませんでした。
  ここに出てきたのが、再び点字図書館です。その2でご紹介したように、情
提建設運動は県の点字図書館の新築に刺激された面があったのですが、そこで
ある時、誰かがある重要な事実に気がついたのです。点字図書館が新しく建つ
のなら、今までの点字図書館はどうなるのだろうか、と。私はこの話をかなり
話が進行してから聞いたので、県の誰が言い始めたか、それともろう協なのか
はわからないのですが、つまりこういうことでした。現在の点字図書館は社会
福祉会館内の1階にあり、だいたい半分ぐらいのスペースを占有しています。
このスペースを全部情提とすればなんとか法律に定められた400平米は確保で
きる。改装するだけなので費用も安くあがる。これなら今の資金でも実現可能
だと。

  県の社会福祉会館の2階にはろう協事務所もあるので、事実上、2階から1階
に引っ越すだけです。とても広くなりますが、新鮮さにはだいぶ欠けます。

  この話を聞いたとき、当初の計画からえらく後退したので、驚きました。と
いうのも、今まで情提の勉強会で話してきたことは、情提だけの施設を建てて
運営していくと言うこと。そこにはサークルの部屋なんかもあるという夢が語
られてきました。それが今までの延長、だいぶ広くなるとはしても、現状を続
けていくことに、一般会員がどれだけついてくるのか、不安がありました。
  そして、この方法には1つの問題がありました。それは「建設」が必要なく
なることです。建物を建てずにすむのは嬉しいのですが、問題は今まで集めて
いた寄付金の名称が「聴覚障害者総合センター(仮称)建設のための募金」だっ
たことです。これでは寄付金は全く使えません。もし、使えば反則です。

  そこで、まず募金の名称を「聴覚障害者総合センター(仮称)建設・運営のた
めの募金」に変更する動きが始まります。ろう協代表はろう協の会員に、県サ
連代表はサークルに説明してまわります。県サ連代表は私でしたので、当然説
得担当は私になりました。今までは報告や募金依頼程度だったのが、いよいよ
本格的な活動の始まりです。
  まずは手短なところで、名称変更の感触を確かめることから始めました。予
想していましたが、どこの意見も同じで「募金は情提に関わるあらゆる事柄に
使われると思っていた。運営って入っていなかったの? 別に変更してもいいと
思うよ。」というものでした。そもそも、この時点でもサークルの新メンバー
からは「情提って何?」という質問が投げかけられることが多く、私の心内で
は「この切り替えは特に問題もなくいける」とにらんでいました。ただ、お金
が絡むことですので、ちょっとした反論でもおしゃかになる可能性もあり、石
橋を叩いて渡ることにしました。もう、その頃は冬に入ろうとしていた頃でし
たので、県サ連としての意見とりまとめは4月の定期総会と定め、それまでに
意見を募集することにしました。毎月の事務局会議記録の郵送に、今回の経緯
を説明した文書を添付し、意見を募り、年が変わって3月に定期総会議事案を
送る時にはだめ押しの、意見募集をしました。文書で2回もやっておけば、定
期総会当日に反論されても、「もっと早く言ってくださいよ」と言い訳できる
だろうとちょっとずるいことも考えてました。もっとも、その心配は杞憂で、
1995年度の定期総会は無事に終わり、県サ連の意志は募金名称変更OKとしてま
とまったのです。ろう協も6月の評議員会で方針変更を決定。そして1年かけて
具体的な構想を計画、先の知事の話につながっていきます。

  でも、私の記憶が確かなら、準備会ではもっと前に名称変更を前提に、募金
の使い道をかなりつっこんで考え始めていたと思います。公式には県サ連の定
期総会、ろう協の評議員会を終わって、名称変更決定の発表がされたはずで、
ちょっと時差があります。石川のサークルの皆さん、秘密にしててごめんなさ
いね。

  しかし、本当はもっと重要なことが黙殺されています。というのは、実はこ
の募金には、管理委員会があったのですが、これがまったく無視されました。
だって、委員長が誰なのか、誰にもわかっていないんですから。委員長はたぶ
ん、N氏だろうと言われましたが、本人に確認すると言った準備会メンバーか
らはその後、なんの報告もなく、結局、誰もこのことに触れずに、今に至りま
す。私の認識が正しければ、今、あの募金はそのまま情提事務所預かりになっ
ているはず。それともろう協理事会預かりか? もっとも、いざ使われるときに
はろう協、全通研、県サ連の協議が行われるはずなので、深刻に心配する必要
はないとも思いますが、きっちりした性格の人には耐えられんでしょうね。
(性格とか、そういう問題ではないとも思いますけど...時効まではもうちょっ
と時間が必要か?)

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  さて、いよいよ最後の難関であるろう協の財団法人から社会福祉法人への切
り替え作業が始まります。

  しかし、この頃から私は当事者としての位置から少し遠ざかります。という
のは準備会内に「実務班」というものを作り、実質的な作業をそこで進めるよ
うになったためです。実務班にはろう協理事、ろう協事務所、全通研支部の中
心人物が入りました。(ちなみに全国の青年部部長の大窪さんも実務班にいま
した。その後、部長に就任してから抜けましたけど。あの就任も我々には寝耳
に水でびっくらこ、でしたけど。そんな大事なこと秘密にしておくなんて、い
けずなんだから。大窪さんは手話サークルも同じなんですが、よほどみんなを
びっくりさせたがったらしいです。おちゃめな人だ。)
  ところで、なぜか、県サ連代表は実務班には入りませんでした。県サ連役員
としては不満がある人もいましたが、なんとなく、まっいいか、と思い県サ連
は報告を受けて、必要に応じてサークルへのパイプ役に徹することになったの
です。

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  思い出しながら書いていたら時間がめちゃくちゃになってしまいました。わ
かりにくくて申し訳ありません。そして、ちょっと長くなってしまいました。
今回はこのへんにして、No.25で締めくくります。

  では、また来週、会いましょう。

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