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    メールマガジン 「語ろうか、手話について」

No. 8                                               2000年 8月23日発行
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  世間のほとんどは休みも終わり通常業務となりましたが、皆さんいかがお過
ごしでしょうか。私は、あと3日で夏休みということだけが心の支えとなって
います。

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  先日、全通研支部の学習会で、通訳技術の講習会を見てきました。受講生は
難しい文章の通訳に四苦八苦していましたが、私はスタッフ特権で後ろで見て
いるだけでした。我ながら「ズルいなぁ」と思いましたが、でも朝から雑用に
走り回っているんですから、これぐらいの特典があってもいいですよね。

  その学習会を見ていて思ったのが、通訳内容の等価性です。通訳された文書
なり手話が正しい変換であるのかを検証するのは大変難しいものがあります。
学習会でも、今の表現で通じるだろうか、もっと良い表現方法はないだろうか
という議論が行われていました。

  そもそも、何をもって「正しい通訳」とするのでしょうか? 理論的に「正し
い通訳」というものは存在するのでしょうか? 今回は「通訳の等価性」につい
て検証していきます。

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  ところで、今回の「語ろうか」では「通訳」と「翻訳」という用語をごちゃ
まぜにして使っています。実践上、時間がかけられる翻訳と即興である通訳で
は天と地ほどの差があります。しかし、今回はコンピュータサイエンスでの理
論を援用することもあって、あまり時間の概念は考えないことにしますので、
通訳と翻訳に質的な差が生じません。時間を考慮した実践的な話は、また稿を
改めて述べたいと思います。

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  では、再び学習会の話です。後ろで見学していて強く感じたことが2つあり
ます。一つは等価性を議論するレベルを考えなくてはならないということ。も
う一つが変形の程度です。

  等価性を議論するレベルとは、言葉のどの単位での等価性を重視するかとい
う事です。私が大学時代に専攻していた自然言語処理学にも同様の議論があり
ます。以下に簡単にご紹介します。

  自然言語処理学とは、コンピュータで言葉を扱う学問で、人工知能研究の中
でも、現在かなり勢いのある分野です。特にコンピュータに翻訳を行わせる
「機械翻訳」は計算機科学において比較的長い歴史があり、理論的にも興味深
い結果が残されています。
  その機械翻訳の研究では、翻訳の等価性を次の3つのレベルで定義していま
す。(この定義は、岩波書店発行の岩波ソフトウェア科学講座(15巻)「自然言
語処理」から引用しました。)

  - 単語と構造の等価性を重視する翻訳
      1つの単語での等価性、また文法上の等価性を重視する翻訳。
  - 意味内容の等価性を重視する翻訳
      単語が表現する意味の等価性を重視する翻訳。
  - 効果の等価性を重視する翻訳
      話し手が受ける印象の等価性を重視する翻訳。

自然言語処理学では、下方の翻訳ほど高度で理想的なものとされています。つ
まり、単に単語や文法の規則だけを変換するのではなく、文脈や言語の特性、
さらにはその言葉が使われている国や地域、民族の背景を理解した上で、単語
の意味を的確に捉え、そして場所や時間、相手によって適切な形態に変換する
のが理想的な翻訳とされています。そのため、伝統的な機械翻訳システムで
は、単語と構造を把握して、次に意味を把握して、そして受け手に適切な文を
生成するというステップを踏んでいます。(もっとも、今の機械翻訳の実力は
まだまだ赤ん坊のようなものですが。)

  振り返って、手話の場合はどうでしょう? ここに少々面倒な事情がありま
す。手話の場合、文法があるといっても、まだ網羅的に明らかにされているわ
けではありません。また、急速に発展している言語の宿命で、単語の数も意味
もどんどん変化しています。このような状況では、単語と構造の把握すら十分
にはできません。結局、人間の直感で、一気に意味を把握して、効果が等価に
なるような表現を編み出していくしかないわけです。

  手話の場合、もう一つ難しい問題があります。それは手話の中には「日本語
対応手話」というまるで日本語のような手話が存在することです。ですから、
単語と構造が等価な通訳をしてしまえば、完璧に等価な通訳を行うこと理論上
可能です。

  まとめると、等価性を議論する時には、2つのレベルを考える必要があると
思います。一つは日本語対応手話でのレベル。これは日本語文法という規範が
ありますから、厳密な検証が可能です。その上で、いかにして手話の語彙を取
り込みながら、曖昧性をなくす、もしくは日本語の意味を手話に置き換えられ
るかに力点を置くことが重要です。これは単語と構造の等価性を重視した通訳
であり、そのような方針を貫くのが前提なら、表現が日本語対応手話であって
も悪いわけではないと思います。

  もう一つはいばらの道、日本手話への通訳のレベルです。こちらは受け手に
与える印象を重視する必要があります。というのは、単語や構文レベルで考え
るのは現在は不可能だからです。(少なくとも一般人が使いこなせるような規
範は存在しません。) とにかく、等価な印象を与えるためには意訳、超訳何で
もありです。単語の言い換え、語順の変更。最後につじつまが合うのならば、
全く異なる文にしてしまっても構いません。でも、この「つじつまが合う」と
いうのは至難の業です。その場は上手くごまかせても、1週間後にその通訳が
引き金になって困ったことが起きるかもしれません。
  そのため、日本手話への通訳を行う場合は、どんなに上手くやったとしても
それが誤解を受けないかを徹底的に検証する必要があります。通訳の後で「今
の通訳は正しく伝わったのだろうか」とくよくよするのは大切なことです。

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  次に、二つ目の変形の程度という話です。

  印象が等価な通訳をする場合、どうしても単語の追加や省略が起きます。何
でもありとはいいつつも、むやみやたらと変形していっては、普通なら破綻し
ます。ある程度の指針は必要です。

  理想は情報が等価であることです。理論的には、次の2点に注意すれば良い
はずです。
  - 補うことの危険性
  - 足りないことの不備

  手話通訳士の試験では、「話したことを通訳しないこと」よりも、「話して
いないことを通訳する」方が致命的な減点になるそうです。話したことを通訳
しなくても、再度聞き直せば事は足りますが、勝手に情報を付け加えてしまっ
て、それが間違っていたら、つじつまを合わせるどころではありません。
  でも、通訳慣れしていない人は補ってしまいがちです。つい最近、通訳練習
の時に、以下のような例を見ました。

  「お金がないので、ハンドバックが買えなかった。」
   という文章を以下のように通訳した人がいました。
  a.「私/貧乏/バック/買う/難しい」
  b.「私/家/貧乏/バック/買う/難しい」
  c.「バック/欲しい/私/しかし/貧乏/買う/難しい」

  aはOK。
  cは微妙なところ。買うという行為には通常「欲しい」という気持ちがある
  はずなので、通常はOK。
  bは駄目。この人はその時たまたまお金を持っていなかっただけかもしれな
  いのに、勝手にいつも貧乏なことにしてしまっています。通訳士試験なら
  0点です。

  でも、程度の差こそあれ、bのような追加をしてしまう人っているんです。
追加というのは、理由がなければやってはいけないのです。cのように、文内
から解釈できるとか、手話から日本語の場合なら視線や表情から読み取ったと
いう事でもない限り、勝手な追加は許されません。

  逆に省略はほとんどの場合許されます。省略した部分は後でも補うことがで
きるためです。もし、致命的な情報を落としてしまったと思ったら、その時点
でつじつまあわせに言葉を補えばいいのです。

  通訳は時間との勝負という面があるので、この2つを実践するのはなかなか
難しいとは思います。これは経験を積んで慣れていくしかないでしょう。

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  ところで、手話では同時通訳が主流ですが、通常の音声言語では重要な会議
では逐次通訳が主流です。このあたりは、聾者も健聴者も認識を改めなければ
なりませんね。

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  来週から、聾運動の歴史について解説していく予定です。あまり得意な分野
ではありませんが、この夏に何冊か読んだ本から、特に有名な事件を紹介して
いきます。乞うご期待。

  では、水曜日にお会いしましょう。

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