__________________________________
pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_p


    メールマガジン 「語ろうか、手話について」

No. 2 Rev.1                                         2002年 4月17日発行
pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_pq_p
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

  皆さん、こんにちは。寒くなったり、暑くなったり、よくわからん天気が続
きますが、いかがお過ごしでしょうか。

  ちょっと前になりますがですが、全日ろう連の日本手話研究所が発行してい
る「手話コミュニケーション研究」という機関誌が届きまして、その中に興味
あるコラムが載っていました。江時久という人の「難聴、ときどき手話」で、
テーマが「ろうは差別語なのか」というものです。そういえば、すごい昔に言
葉の解説をした回があったなぁ、と思って、「語ろうか」のバックナンバーを
振り返ってみたら、もう2年近く前、No.2(2000年7月12日配送)のことでした。
そんなわけで、久しぶりに用語について考えてみます。

>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

  手話を勉強することは、言葉を勉強することです。英語やフランス語のよう
な外国語を学ぶのと同じです。言葉を勉強するとき必ず言われることがありま
す。「単語や文法を学ぶだけでは不十分。その言葉を話す人たちの文化や歴史
も知らなければ言葉を理解することは出来ない。」
  でも、なかなか文化を知ることは難しいです。まず何から手をつけていけば
いいのやら...

  私は、その第一歩は、その業界用語、専門用語を知ることだと思います。そ
の世界でしか使われていない単語の意味や使い方がわかることが、文化、ひい
ては言葉を理解する第一歩だと思います。

  ということで、今回のテーマは「手話の世界の業界用語」です。

  もう一つ、今回は重要なテーマがあります。
  この手のメルマガを始めるにあたって、言葉遣いについて、少し話しておか
なければな、と思っていました。つまり差別用語の話です。第一回目に、この
テーマを出さなかったのは、少し調子が出てきてからの方が良いと思ったから
です。

  ということで、今回の裏テーマは「言葉遣い」です。

  今回の参考文献として、手話研究所所報をあげておきます。
  1) 江時 久: 難聴、ときどき手話 「ろうは差別語なのか」
     手話コミュニケーション研究, 日本手話研究所, No.43, 2002年3月pp.38

----------------------------------------------------------------------

  私の大学学部時代の話です。教職講義(学校の先生になるため講義)で「聾唖
(ろうあ)」が差別用語ではないかと教官から指摘され、戸惑ったことがありま
す。その先生の専門は道徳教育で、普通の人より障害者問題に詳しそうなよう
にも思われるのですが、障害者団体とほとんど関わりがなかったので、たぶん
余計な配慮をしてしまっていたんだろうと思います。文献1)にも、このような
話が書かれていますので、ちょっと引用します。

  ------------------------------------------------------------------
    耳が聞こえないということを「ろう」と書くのは差別語ではないかと、
  ある若い編集者から質問されて、ちょっとショックを受けた。
  「そんなことはないよ。ろうあ連盟の正式な名称は、財団法人全日本ろう
  あ連盟だし、どこでも、ろう学校はろう学校だ」
  (中略)もしかしたら「ろう」と書くのは侮蔑的な使い方で、現代では耳が
  聞こえない人のことは聴覚障害者、あるいは難聴者といわなければならな
  いのか、そんなふうに誤解する人も意外に多いのかもしれない。
    たしかに聴覚障害者、難聴者という単語に比較すれば、「ろう」という
  単語の使用は、新聞紙上でも雑誌面でもずっと少ない。」
  ------------------------------------------------------------------

この文章が、本当に今の日本の現状をズバリと言い表していて、皆さんには、
江時氏のコラムを読んでもらう方が、いいのかもしれませんが、そうするとこ
のメルマガが続きませんので、とりあえずいつもの私の言いたい放題で続けさ
せてもらいます。それはともかく、後で述べますが、今の日本で「聾唖」に差
別的な意味合いはありません。

----------------------------------------------------------------------

  言葉というのは、使いようで、同じ言葉でも差別的に使えば差別用語だし、
過激な言葉でも場面によれば言い得ている場合もあります。とても、難しい。
  ただ、言葉の使い方ばかりに気を使ってしまって、本質的な話ができなくな
るとしたら、その方が不幸です。私は、言葉の「字面(じづら)」よりも、その
言葉が意味する方を重視する立場です。例えば、「つんぼ」という単語が使わ
れているとき、内心では「嫌な感じ」を持ちつつも、なぜその単語が使われた
のかを考え、それが納得できる状況なら受け入れ、そうでないなら批判すると
いうことです。この方が言葉の字面のみで解釈するよりも難しいことは重々承
知ですが、機械的に「つんぼ」などの言葉を排除していては、思考停止状態で
すし、人間らしくないと思うのです。機械的に「つんぼ」を削除するならコン
ピュータでもできます。人間らしく、文化を創り上げていくためには、頭を使
いたいわけです。

  私の考え方を示すために、いくつか例をあげます。

  「障害」の代わりに「障碍」を使う人もいます。私はそこまで気を使わない
方です。「障害」を差別的に使うならば、意味は「障碍」にしても同じことで
す。わざわざ一般に使われないような「碍」という字を、「碍ってなんて読む
んだろ?」と思わせてまで、使う必要はないんじゃないかなぁ、と思うわけで
す。でも、世間でよく使われるようになれば、私も使うようにします。

  次の例は、いにしえの諺から。「つんぼ桟敷(さじき)」という言葉がありま
すね。辞書(広辞苑四版)によれば

  - 江戸時代の劇場で正面二階桟敷の最後の方の席。現在の三階および立ち見
    席にあたる所
  - 転じて、色々な事情をしらされない状態

という意味だそうです。聴覚障害は情報障害とも言われますが、この言葉は見
事に言い表しているとも言えます。昔の人は耳が聞こえないだけで、障害にな
ることを知っていたという証拠でもあります。
  「つんぼ」という言葉は差別的に使われることが多く、今でも不快に思う人
が多いので、ほとんど使われることはありません。では、「つんぼ桟敷」も社
会的に抹殺されるべき言葉なのでしょうか。私はそうは思いません。逆に、聴
覚障害とは情報が入らない状態なんだ、とか、場所だけ用意しても駄目なんだ
ということを健聴者側に戒めるためにも必要なんじゃないかと思います。
  もっとも、私も普段から使っているわけでもありませんけどね。

  ある種、矛盾した主張なんですが、私は、あまり言葉に重きをおいていませ
ん。人からメールをもらっても、かなりいいように解釈して、単語を一つ一つ
吟味するようなことは、まれです。もしかすると、重要な意味を見落としてい
るかもしれませんけど、全体的な雰囲気で解釈しています。

  差別語は先入観に由来することも多いと思います。例えば、「ろう者」とい
う言葉がなぜ問題になるかと言えば、人間の集合から、耳の聞こえない人を意
識して、その人達に「ろう者」というラベルを付けて区別する。その区別する
という行為に差別意識があるかどうかです。気にしない人なら、単に聞こえな
い人たちのことを指しているだけです。でも、もし、聞こえないことを人間と
して欠陥のように考えている人には、このことはとても差別に感じるのだと思
います。どーだっていいことじゃん、と思う人には、「ろう者」は差別語でも
なんでもないわけです。
  もうちょっと身近な例を挙げましょう。「フリーター」という言葉がありま
す。フリーアルバイターの略だそうですが、少し前の言葉に言い直せば、いわ
ゆる就職浪人です。昔は大学を卒業したら当然就職したもので、あえて浪人に
なろうなんて思わなかったものです。それがフリーターという名称が登場して
から、自らフリーターになる人が出てきています。就職できないから暫定的に
アルバイトして暮らしている状態であることは昔も今も同じはずなのに、言葉
で印象が変わってしまい、苦境である浪人状態を選んでしまう人が出てきてい
るわけです。そういう言葉のトリックに怖さを感じます。
  単語そのものを吟味して使うことも大切だと思いますが、私は、その単語が
背負っている背景の方を大切にしたいと考えています。

----------------------------------------------------------------------

  では、今日の本題。聴覚障害分野の用語をいくつかご紹介しましょう。

聾者(ろうしゃ)
    耳が聞こえない人のこと。一般には生まれつき聞こえない人のこと。耳
    が聞こえないことを誇りに思う人が自らを「聾者である」と強調するこ
    ともあるぐらいなので、差別的な意味合いはほとんどない(はず)。「全
    日本ろうあ連盟」という団体もある。
    ただ、難聴者の場合、聾者と言われるのを嫌がる人もいる。

聾唖者(ろうあしゃ)
    耳が聞こえなくて、話せない人のこと。話せないと言っても、声が出な
    いわけではなくて、話し方を習得できなかったために、発音がうまくい
    かない場合が多い。最近では、ろう教育のおかげもあって、話せる人も
    多いが発声に苦手意識を持つ人も依然としている。ちなみに「聾学校」
    はあっても「聾唖学校」は少ない。これは聾学校では話す訓練を行って
    いるという意味合いが強いのだと思う。(昔そんなことを聞いたことが
    ある。)

難聴者(なんちょうしゃ)
    耳が聞こえづらい人。中には聞こえない人もいる。幼年期や思春期ぐら
    いまでに音声言語を習得していて、その後聞こえなくなった人のことと
    思えばだいたい間違いない。だから、話せるけど聞こえないので、聾者
    とは、また違った問題がある。例えば、まったく聞こえないろう者なら
    健聴者も、それを意識して話しかけるが、難聴者の場合、問題なく発音
    できる人が多いので、コミュニケーションの行き違いが生じやすかった
    りする。

中途失聴者(ちゅうとしっちょうしゃ)
    かなり年齢が高くなってから、聴力を失った人のこと。では、いつ頃失
    聴したら中途なのか、という疑問が生じるが、一般的には、自己申告で
    ある。難聴者という用語が定着しているので、わざわざ中途失聴者と名
    乗る人は少ないように思う。

中難者(ちゅうなんしゃ)
    難聴者+中途失聴者という意味。

健聴者(けんちょうしゃ)
    聞こえる人。ろう者、難聴者に対する反対語。障害者に対して、健常者
    という用語があるが、聞こえに関する場合、「常」ではなく「聴」が使
    われるわけである。

聴者(ちょうしゃ)
    健聴者のこと。最近、こういう言い方をする人が多くなってきている。
    「健」がいかにも健康的という意味で、逆差別的な感じがするというの
    がその理由だと思われる。
    ただ、私に言わせれば、語感の中途半端さは否めない。健聴、難聴、失
    聴。他にも視聴、幻聴と、たぶん日本語的には「○聴」というのが言い
    やすいように思う。私が「健聴」という言葉を使い続けるのはそんな理
    由がある。

つんぼ (漢字で書くと「聾」)
    耳が聞こえないこと。差別的な感じがあるので、ほとんど使われない。
    参考文献1)によれば、国の法令で「おし、つんぼ、めくら」と書かれて
    いた箇所は、昭和50年代に、それぞれ「口がきけない者、耳が聞こえな
    い者、目が見えない者」に言い替えるようになったそうである。

おし (漢字で書くと「唖」)
    話せないこと。これも差別的な感じがあるので、ほとんど使われない。

日本手話
    ろう者が使う手話のこと。詳細は「語ろうか」のNo.16〜19を参照のこ
    と。他にも、歴史的手話、ろう者的手話などと呼ばれることもある。

日本語対応手話
    日本語の文法により表現される手話のこと。ただ、私の印象では、日本
    手話との明確な区別は難しい。他に、健聴者的手話、同時法手話と呼ば
    れることもある。

シムコム
    Dproが提唱した日本語対応手話の呼び方。simultaneous communication
    日本語に訳せば、同時的意思疎通とでもなるでしょうか。しかし、シム
    コムと、同時法とは、意味上、全く関係がない。日本語対応手話に批判
    的な人が、その手話を批判的に呼ぶ時に、シムコムということが多いよ
    うに感じる。つまり、確信的に侮蔑的に使われているように思います。

コーダ(CODA)
    親がろう者で、子供が健聴者の場合の、子供のこと。統計上、ろう者は
    健聴者の両親から生まれてくることが多い。CODAは、その逆となる。普
    通の健聴者より手話に長けているという特徴があると言われている。確
    かに、そうかもしれないが、私としては、わざわざ名称を付けて区別す
    る必要があるのだろうか、と思う。また、最近ではろう者と健聴者が結
    婚することも珍しくなくなってきたので、CODAという人達は減少してい
    くと思われる。

ろう協 (ろうきょう)
    県や市町村レベルで、聾者の福祉向上などを目的に活動している法人な
    どの団体。地域により、ろう協、言語障害者協会、聴力障害者協会など
    呼び名は様々。自分の地域の呼び名をまずは覚えましょう。

通研 (つうけん)
    全国手話通訳問題研究会のこと。全国組織で各都道府県に支部があり、
    活動は支部単位が基本。URLは以下の通り。
    http://www.nippro.co.jp/zentsuken/

口話 (こうわ)
    話し手は口を動かし、聞き手は口の形を読みとることで話を伝えるこ
    と。つまり、口だけでなんとかしようとする方法。読み手が疲れる方法
    いや慣れない者にとっては読むことは不可能な方法。しかし、手話の補
    助として使われたりすることもある。また、長年、ろう教育では手話を
    使わないため、口話教育が行われてきている。

----------------------------------------------------------------------

  かなり自己流の解説でしたので、つっこみをお待ちしています。

  では、また来週。

----------------------------------------------------------------------
このメールマガジンは、インターネットの本屋さん『まぐまぐ』 を利用して
発行しています。http://www.mag2.com/ (マガジンID: 0000038270)
----------------------------------------------------------------------
■登録/解除の方法
  メールマガジン「語ろうか、手話について」は、以下のURLよりいつでも
  登録/解除可能です。
    http://www.mag2.com/m/0000038270.htm
    http://www.rr.iij4u.or.jp/~tokudama/kataro/
■バックナンバーの参照
    http://www.rr.iij4u.or.jp/~tokudama/kataro/
    http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000038270
■掲示板
    http://www64.tcup.com/6411/tokudama.html
    補助的な情報を掲載しています。編集者への連絡はMailをお使い下さい。
■苦情、文句、提案、意見など
    Subjectに[kataro]を入れて、以下のアドレスまでMailをお送り下さい。
    個別には返事ができないかもしれませんので、ご了承下さい。
      tokudama@rr.iij4u.or.jp
======================================================================
○メールマガジン「語ろうか、手話について」(週1回以上 発行)

発行: 手話サークル活性化推進対策資料室
編集: 徳田昌晃
協力: 五里、おじゃまる子、くぅ(ヘッダ作成)
発行システム: インターネットの本屋さん『まぐまぐ』http://www.mag2.com/
マガジンID: 0000038270

■意見、文句、提案、投稿は、居住都道府県名と氏名(匿名可)を添えて
  tokudama@rr.iij4u.or.jpまで送って下さい。
■メールマガジン「語ろうか、手話について」は、著作権は徳田昌晃に所属し
  ますが、基本的には転載・複写自由です。有効にご活用下さい。
======================================================================