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    メールマガジン 「語りあおうか、手話について」
                           (「語ろうか、手話について」増刊)
Extra No. 7                                         2000年12月 3日発行
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  たぶん、上記の日付で発行できると思うのですが、1日遅れで届いた方には
ごめんなさい。

  突然ですが、先日、良い言葉を見つけたのでご紹介します。法華経で、まだ
真実の教えに出会っていないのに「自分は真実を知っている」と驕り高ぶる人
のことを「増上慢」というのだそうです。このメルマガも「自分は手話につい
て知っている」というのではなく「自分は、手話についてこんな風に思ってい
る。皆さんはどう思います?」という姿勢でやっています。増上慢にならない
ように気をつけたいものです。この増刊号では、そのような皆さんのご意見を
紹介していきたいので、どしどし意見をお寄せ下さい。

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  では、まず、前回の本編のお詫びから。

  最近疲れているので、いつかはやるんじゃないかなぁ、と思っていましたが
とうとう意味不明の文を載せてしまいました。お詫びして、訂正したものを以
下に載せます。訂正するのは、2000年11月29日発行のNo.22「表情は手話なの
か?」の83〜90行の文です。以下の通り訂正します。

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    情報を担う表情というのは、眉とか視線のように、動く範囲や方向が大
  きく、数値化するのはとても面倒です。そこで、手話から表情をなくすこ
  とはできないかと考えたわけです。
    言語として情報を伝達するには何が必要か? 実験的に確認すればすぐに
  わかります。例えば、手の形が必須かどうかは、手を「さ」で固定して手
  話で話せばわかります。ほとんど意味のある会話はできませんので、手の
  形は必須であることがわかります。同じように右手だけとか、目をつぶっ
  てということを試していきます。常識的な結論ですが、手形、動きは必須
  要素となりました。しかし、視線、表情は削っても通じることがわかりま
  した。確かに多少わかりにくくはなりますが、わからないというレベルで
  はない。そこで、計算機で手話を扱うために、まずは表情という要素を省
  くことにしたのです。
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  ところで、どうも構成が悪く、ズバッと結論を言っていないので要点がわ
かりにくいとは思いますが、No.22の結論は「表情には手話となるものもあ
るし、そうでないものもある」というものです。文章の書き方はなんとか直
していきたいものですが、こればかりはなかなか... 努力しますので、いま
しばらくご容赦下さいませ。

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  さて、今回のメインディッシュであるご意見紹介です。
  日本手話と日本語対応手話についてdamiaさんがご意見をお寄せ下さいまし
た。以下に全文掲載します。

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    「日本手話」「日本語対応手話」の話ですが、一読して、徳田さんは、
  「部外者として手話を見る」視点で書いておいでのように感じました。手
  話それだけを取り上げて「この手話とあの手話とは本質的に違うのかどう
  か」という論じ方をされている、と。
    徳田さんはおそらく、日本語の音声で意志疎通を計ることが多いのだろ
  うと想像しますので、この見方に異を唱えるようとは思いません。でも、
  元音声日本語ユーザ、現書記日本語ユーザ兼手話ユーザとして読ませて頂
  くと、ちょっと物足りない所があります。

    徳田さんが見た「日本で使われている手話」は、いったいどこまで日本
  語、それも音声での日常的なコミュニケーションに利用されている日本語
  に近いのでしょうか。
    別の言い方をすると、「音声で表現された日本語と文字で表現された日
  本語との違い」と「音声で表現された日本語と手指で表現された日本語と
  の違い」とを比べたら、どの位違うのでしょうか?

    以下、上の問いに私なりに答える形で、ちょっと書いてみます。

    私自身、頭の中では日本語の音声で考えるようになっているらしいです。
    それを手指で表現しようとするとき、いくつかの段階を踏んでいること
  も、意識にあります。

   一つ目が単語レベルでの表現方法。「手話」を表現しようとして、頭の
  中に「しゅわ」って音が浮かんだ時に/手話/という動作を考える必要があ
  ります。「手話」と書こうとするときに[し][ゅ][わ]とキーを打ち、「変
  換キーを押す」ような感じです。
    次が、手話上の幾つかの/手話/って概念から、どの概念を示す単語の表
  現を使うか選択すること。日本語では、少なくとも単語のレベルでは「頭
  の中に浮かんだ『しゅわ』という音を」「手話」以外の表記に変換する必
  要はありません。一方、手指で表現する時には、手を動かす速度、手の形
  口の動き、視線などの要素ごとに、そのとき表現したいと思った「しゅわ」
  に最適なモノを選択しなければならないと感じることがあります(感じな
  いこともあります)。

    (こういう「感じ」は、いろいろな聴障者との会話の中で、相手の表情
     や返事の適切さなどから、手指での意志疎通がどの程度うまく進みつ
     つあるか無意識のうちにに推し量ることで出てくるように思います。)

   3つ目が、語順やらの変換。文法と言い切ってしまって良いのかどうか自
  信ありませんけど、とにかく、このメールを書いているようなイメージで
  そのまま最も適切な手話の単語で表現したとして、意志が通じてないと感
  じることは良くあります。そういうときには、多少意味が変わってしまう
  ことすら容認して、わざわざ通じやすそうな文に作り直して表現します。

    (この作業は非常にくたびれるので、喫茶店などに行ってもおしゃべり
     は1時間が限度です。)

    さて。地元の何人かの聴障者と話すときには、以上の3つが常に必要で
  す。でも、妻や他の何人かの聴障者と話す時には、2番目や3番目は必要あ
  りません。

    後者の場合、頭に浮かんだままの言葉を口に出し(少なくともそういう
  口の形を作り)、それに最も意味の近い手指の動作をすることで、話が伝
  わります。ときには、意味の上ではかなりかけ離れた手話だったり、その
  手話を日本語の単語に置き換えたときの音が言わんとしている言葉の音と
  同じだけで意味が全く違うことさえあります。
   2番目や3番目が不要なのは、私が表現し相手が読み取っているのは「音
  声の日本語を、声と耳の代わりに動作と目で伝達しようとするコトバ」だ
  からです。この場合、口の形から「音の候補」をある程度まで絞り、これ
  までの会話の内容と手指の動きとでそれを補足する形で、最終的に「音」
  を読み取ります。読み取った「音」は、音声の日本語と変わる所がありま
  せん。
    つまり、正確に表現されていれば、1「音」ずつそれを読み取って「か
  な文字」で表記することができますし、手指の動きとして表現された意味
  は同じ「音」を持つ日本語の単語と対応するので、多くの場合その部分を
  漢字を含む日本語の単語で書くことができるということです。これを声に
  出して読めば、音声の日本語として聞こえるはずです。
   私に言わせれば、これこそが「日本語対応手話」(個人的には「手指日
  本語」という呼び方の方が好き)です。

    一方、前者の場合、いかに口の動きを正確に読み取り、話の内容を綿密
  に追い、手指の動作をつぶさに検討しても、日本語に相当する「音」は取
  り出せません。そもそも、「音」に相当する「口の形」を禁止するような
  表現が大量にあります。
    私は、このような手話がいわゆる「日本手話」(日本語ユーザとして、
  この日本語表記にはかなり抵抗があります。「聾語」って書いてくれない
  かなぁ)なのだと思っています。

    以上、極端に正確な「日本語対応手話」が、日本語の音声のに限りなく
  近いものであること、そうではない手話も使われていることを根拠に「日
  本手話は、日本語対応手話とは別物」って論を立ててみました。
    実際には、私自身が特定の人と一対一で会話する場合でさえ「この部分
  は正確な音声を直接抽出できる」「ここの部分ではできない」ということ
  が多い(とゆーか、ほとんど)と思います。
    でも、「意識して正確な『日本語対応手話』を使え」と言われれば、そ
  れも可能でしょう。

    結局の所「日本手話」を定義しようとする方法では「日本語対応手話」
  と「日本手話」との違いを明らかにするのは困難だと思います(「不可能」
  だとは言わないでおきます。私には、どこをどう示せばそんなことができ
  るのかわかりませんが)。
    でも、「日本語対応手話」を「音声の日本語を直接取り出すことができ
  る手話」と定義すれば、「そうではない手話」があることを示す形で「日
  本語対応手話ではない手話」すなわち「日本手話」があるらしいことを示
  せると考えます。
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  あらゆる手話から日本語の部分を取り除けば残った物が日本手話というわ
けですか。なるほど。でも、うーん... 私の意見は、また今度の増刊で。

  では、今回はここまで。また水曜日にお会いしましょう。

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